2012/02/20 更新
| 講師 | 福田 慎一氏(東京大学大学院経済学研究科教授) |
| 日時 | 2011年12月21日(水)15:30~17:00 |

1960年生まれ、1984年東京大学経済学部卒業、1991年米イェール大学大学院博士課程修了、同年イェール大学経済学博士号取得。横浜国立大学、一橋大学、東京大学の助教授を経て、2001年より現職。2009年、日本経済学会・石川賞受賞。主な著書に『マクロ経済学・入門』(共著、有斐閣、1996年)。専門は金融論、マクロ経済学、国際金融。
| 講演要旨 |
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金融市場において、従来は信用リスクの問題が最大のフォーカスであったが、リーマン・ショック以降、流動性リスクがそれに変わる新たな問題となっている。国内では中央銀行や監督官庁が金融市場の安定化を図っているが、国際金融市場では流動性リスクに十分に対応できる国際的機関は存在しないと言ってよい。本講演では、日本やアジアが震源となった1990年代の金融危機と、リーマン・ショックのように欧米が震源となった2000年代の金融危機それぞれの時期における東京市場とロンドン市場でのインターバンクレートを比較する。ロンドンは時差の問題から国際金融で一番活発な市場であり、そこでベンチマークとなるインターバンクレートはLIBOR(London Inter-Bank Offered Rate)である。一方、東京市場でそれに対応する東京のレートはTIBOR(Tokyo Inter-Bank Offered Rate)と呼ばれる。
1990年代の金融危機では、日本が危機の震源であったことからTIBORがLIBORを大きく上回り、99年に公的資金が本格的に投入され危機が収束するまで継続した。このとき日本はドル建てでも、円建てでも、追加的なプレミアムを払っていた。一方、2000年代末の世界同時危機の際には、震源地である欧米の金融機関に比べ、日本の金融機関が受けたダメージは軽微であり、円建てのTIBOR-LIBORスプレッドはマイナスに振れた。しかし、ドル建てのスプレッドは、リーマン・ブラザーズ破綻直後にかなりのプラスとなり、日本は依然として追加的プレミアムを払っていた。健全性には問題のない日本の金融機関がドル建てで資金を調達する際には依然として欧米の金融機関に比べて不利な立場に立たされていたことがわかる。
このような事態となった原因は、金利を形成する①リスクフリー・レート、②信用リスク、③流動性リスクの3要素のうち、90年代の金融危機の際には日本の市場で信用リスクが非常に高まったこと、2000年代末の世界同時危機の際には通貨(ドル)の流動性リスクが非常に高まったことであると分析される。なお、世界同時危機以降はドルの流動性枯渇を防ぐため、アメリカが発行するドルを主要国の中央銀行を通じて世界の市場に供給し、流動性リスクを低減する米ドル・スワップ取極めを結び、実際にドル資金不足の解消に有効であった。
リーマン・ショック時には、日本の金融機関は信用リスク面では健全性を維持しており、円建ての資金調達には問題が発生しなかった。それにもかかわらず、ルの流動性枯渇から、ドル建てについては依然として大きな流動性リスクが発生した。国際通貨としてのドルに依然として依存している東京市場の問題を露呈したといえる。ドル依存体質の問題点は、日本に限らずアジア通貨危機以降叫ばれてきたアジアの問題でもある。日本とアジア各国では、頓挫したアジア版IMFのAMF、二国間のドル資金融通の取決めが多国間化したチェンマイ合意、債券市場のABMIなど域内のドル不足解消への取り組みを行ってきた。アジア共通通貨はほぼ不可能であり、国際金融において当面ドルが唯一の有力通貨であることを考えれば、日本は引き続き、外貨準備の有効活用という点も含めて、アジアの金融市場安定化に向けた取組みが期待される。